Monologue

ヒ・ト・リ・ゴ・ト

ありがとう、言える心で過ごしたい

“ありがとう、言える心で過ごしたい”

昨日の【最初の記事書いてみた】の最後に、好きな言葉として書いたものです。しかし正確に言えば、

<そうでありたい><そんな風に思える自分になりたい>

と言うことなのです。そう言う風に思うという事は、自分はまだまだそんな人間ではない、と言う裏返しでもあるのですが。

実はこの言葉は、私の父が電話帳のそばのメモ帳に書き残していたものです。

四捨五入すると100歳にもなるという父はアルツハイマー認知症と診断されている。認知症と言っても父の場合、時間軸の記憶が曖昧なだけである。日常の生活や会話、物事の判断などは診断前と変わらず、私の尊敬する父のままなのです。

そのメモを見つけた時、こんな言葉改めて書き留めなくても、いつも感謝の気持ちを持った父なのに、と思った。他人は勿論、弟妹・甥姪・娘など年下や身内の者にさえ、何かしてもらったりすると「ありがとう」「どうもな」と感謝の言葉を口にしていたのだから。

それなのに、です。父にとってはまだまだ言い足りなかったり言えなかったりした時があったからだろうか?それとも・・・、認知症になって変わっていくだろう自分に言い聞かせるために書き留めたのだろうか?・・・。

多分父は今、このメモの存在さえ忘れてしまっているに違いない。でも私はこのメモを捨てることが出来ないのです。尊敬する父を感じ続ける事と、自分への課題を見つけたような気がして。