Monologue

ヒ・ト・リ・ゴ・ト

『老後の資金がありません』

今週のお題「読書感想文」

f:id:pyutan:20200829214547j:plain 『老後の資金がありません』 

作者は垣谷美雨。以前同作家の強烈な印象を残した作品を読んだことがあり、再び強烈なタイトルに惹かれ手に取った。

垣谷美雨現代社会を風刺した題材を取り上げた作品が多いようです。あくまで小説のため面白可笑しく大袈裟に書かれてはいるものの、私たちの生活や思考に寄り添った、身近に感じられる物語りなので、サクサク読めてしまう。

老後のお金はあるに越したことはない。年をとって惨めな生活は誰だってしたくない。最低いくらあれば安心なのか、果たして何歳まで生きるのか。老後2000万円問題の話もあり、自分自身不安を抱えていましたが、“ものは考えよう” という事に気づかされた気がします。幸せはお金や物だけではないし、見栄や世間体に惑わされたりしなければ、お金に取り憑かれることもないのだーなあんてカッコつけてしまいましたが、小心者で心配性の私、ほんの少し気持ちが軽くなった気がするのです。

ところで、解説が室井佑月さんで、「こういう本が読みたかった」と言っています。 あの室井さんが老後の資金の心配いらないでしょう?と思うのですが、人はそれぞれの立場で不安を抱えているのですね。でもでも、2018年初版の解説時シングルだった室井さん、2020年、前新潟県知事という伴侶と老後資金を一挙に得たであろう今では説得力に欠けた感じです。 尚、この作品、天海祐希さん主演で映画化が決まりました。(今年の9月公開予定でしたが、コロナ禍の影響で来年に延期されたようです)

 

ちなみに、最初に読んだ強烈な印象の作品は、『70歳死亡法案、可決』です。    国会で、70歳になると安楽死させられる、という法案が可決し2年後に施行。その時、人はどう対応するのかーという何とも凄いお話です。人生70歳まで、と分かっていたら老後資金の計画も立てやすくなるかもしれません。 

出窓って

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今年の夏、ホントに暑い。エアコンを入れている部屋以外は窓を開放したい。

しかし、いつも思うのです。何で、ここ出窓にしたかなあーって。

わが家の出窓5ケ所について思うところ。

  • 居間の出窓・・・本や飾り物で埋められているが、わが家のように部屋で使いたい(外部から見られたくない)場合は、窓側に目隠しを取り付ける事。ドレープでスペースを取ってしまうカーテンより、スッキリしたブラインドかロールスクリーンがおすすめだが、遮光のできるブラインドが適している。わが家では事務所にありがちな無機質なものではなく、柱と同じ飴色の木製ブラインドにしたことでインテリアに馴染んでいる。反対に、道路に面した出窓の場合、見られることを意識して花を飾ったり、クリスマスシーズンにはイルミネーションなどで演出できる。その場合は、壁に沿ってカーテンかローマンシェードでスタイルを作る事で室内からも室外からも素敵な窓に。
  • 寝室・書斎の出窓・・・骨董品の好きな父のために出窓内に飾り棚を2段作りギャラリー風にした。書斎の出窓前には奥行き45cmのカウンター机があるが、ここに座ると骨董品が目の前にありその奥の庭も眺められお気に入りの場所となった。手を伸ばせば窓の開閉もできる。同じように作った寝室の出窓の前には父母のベッドが二つ置かれ、窓の開閉はベッドに上がらなければできない。が、同じ空間の二つの出窓は統一感があり、雰囲気を醸し出している。この出窓は窓枠に合わせた白木調のブラインドにしたが骨董品が映える。
  • キッチンの出窓・・・どこの家もキッチンの出窓には調理用具やキッチン小物を置いてしまってはいないだろうか。わが家も例に漏れずである。キッチンの窓は型(透明でない)ガラスが一般的だが、外から鍋や洗剤などと察しがつき見た目も悪い。背の低い私にとって一番困るのは、窓の開閉ができないことである。窓の設置位置が高いこと、出窓前には奥行き65cmのシステムキッチンがあることで踏み台に上がらないと手が届かないのである。これはいちいち面倒だ。
  • 浴室の出窓・・・ユニットバスにリフォームした時に、浴槽は人造大理石に、窓は広く明るくしたくて一間の出窓にした。窓が大きいという事は明るく開放的で換気も多くできるのだが、防犯面からは逆になる。侵入を防ぐための窓格子や型ガラスから現れる裸のシルエットの目隠しのためのブラインド設置が必要となった。結局、夜はブラインドを降ろすため出窓感が無くなる。浴槽に入らないと窓の開閉ができず、災害に備えていつも水を張っておくわが家では殆ど窓は開けなくなり換気扇を回すだけに。出窓スペースに何も置くことはなく掃除箇所も増え、これはコストだけ掛かって大失敗である。

如何でしたか?私にとって、居間や書斎の出窓は正解でしたが、キッチンや浴室のように開閉やお手入れが難しい出窓は不要と感じました。これから新築やリフォームをお考えの方はご参考に。勿論、背の高い方や私のようにものぐさでない方にとって出窓は開放的でプラスアルファのスペースです!

月訓カレンダー 8月は違った

     f:id:pyutan:20200802181858j:plain <浄土宗月訓カレンダー>

     8月はお盆月。あの顔、この顔、懐かしい顔・・・。

     ふだん離れて暮らす家族や友だち、親戚はもちろん、

     ご先祖との再会がかなうといいですね

 

本来なら ≪みんなに会える夏≫ の筈だった。 が、今年は違う。お中元を持って伺うことも、お盆にお焼香に伺う事もためらわれる。各地で夏祭りも中止され、親戚にも友だちにも会えない夏になる。

仙台では来年の七夕まつり復活に向け商店街にメッセージが掲げられた。

     「星に願いを! 来年、笑顔でお会いしましょう」 

感染者増で再び面会禁止

今日、介護施設入所中の母の面会に行ったら、突然の面会禁止。

70日間の面会制限期間を経て、やっと会えるようになったのに、1ヶ月半で再び会えなくなった。理由はわかる。県内でのコロナ感染者が連日報告され増え続けているからだ。来週開始の “Go To トラベル” による更なる増加も懸念され、夏休みやお盆休みで、遠くに住む子供や孫・親戚等の面会も増えてくる。

問題は、面会制限の解除がいつになるか、である。緊急事態宣言が発令した時のように自粛要請はされてないし、東京以外は自由に往来できる状況下に於いて・・・。

私の後にすぐ来られたご家族が、車で待機しているように言われた。入所者との接触は言うまでもなく、訪問者同士の接触も避けるためである。

接触させてはいけないはずの入所者のおばあさんが歩行器で受付まで来ていて、職員が戻るよう説得していたが、耳が遠く中々戻ってくれない。私の方から距離をおいた。

面会禁止の連絡は無かったが、多分、急遽今日になって決定したのだろう。土曜日で職員が少なくあたふたしていたが、これもコロナ禍の未曽有な事態がもたらしたものだ。

   今度会えるのはいつになるのだろう?  f:id:pyutan:20200719020958j:plain

 

コロナ禍の介護施設面会で思う

コロナ感染者が、東京では昨日今日と連続で100人超え、私の住む地域でも約2ヶ月間0だった感染者数が少しずつ報告されてきている。県をまたいでの移動が出来るようになったため予想はされるのだが、特に怖いのは医療・福祉施設への感染拡大だ。

介護施設入所中の両親との面会制限が解除になりまもなく1ヶ月。その状況は・・・。

両親の施設(どちらも老健)共に、一日一家族2名まで、面会時間は10~15分程度。父の施設では今週から、面会者の多い日曜日は完全予約制となった。

いずれも受付で面会者情報のほか、検温・感染症状を記入。面会制限解除といっても、ある程度の制限は課されたままだ。短い時間の中で、少しでもコミュニケーションを取ろうと手を握ったり話しかけるが、マスク着用とはいえ大声も出せず、耳が遠い両親に顔を近づけて話すため、私から感染させるリスクがあるのでは、と感じてしまう。

ということは、常時介護する職員にあっては、密着度が高く接する時間も長いため、相当なリスクを抱えていることになる。

そのための ≪面会時間10分程度≫ なのだが、先日、一人では食事摂取が難しく必要量が取れていない母に、少しでも多く食べてもらいたくて介助した。嚥下機能が低下しているため時間が掛かり、介助しても食事を終えたのは母が一番最後だった。その時は、母の役に立てたと思ったが、ただの自己満足だった。帰る時には30分を過ぎており、振り返ると自分の行動が怖くなってしまった。

父と母とヶ所の介護施設に毎週通う私は決して感染してはいけないのだ。自分に症状がなくても父母に感染させてしまったら、簡単に入所者や職員の方々に移ってしまいクラスター発生につながってしまう。しかも重症化しやすい人達ばかりなのだ。

   多くの人のため自分が感染源になりませんように。 f:id:pyutan:20200704022419j:plain

外の事がわからない “中” の人。中の事がわからない “外” の人。

今週のお題「外のことがわからない」

母の入所する介護施設で、コロナウィルス感染予防により禁止されていた面会が可能となり、先週70日振りに会うことができた。

母に会って、「私の事解る?」と聞いた時、何回目かでわずかに首をコクンと振ったが、名前を聞くと首を傾げた。

母の表情からは、私が娘であることを認知しているのかどうか読み取れなかったが、解ってくれていたと思いたい。帰る時に、手を振った私に応えて手を振ってくれたが、果たしてそれは私だから、だったのだろうか?

母の中では、コロナや外部の人との70日の空白期間なんて関係ないのだ。コロナに関わらず、今世の中で何が起きているのか、今の季節が何なのか、外からやって来る人が誰なのか、母には解らない。

それと同時に、少なくとも70日間、私にも母の様子や施設の状況は全く分らなかった。いや、面会できるようになっても、一日24時間の内のわずか10~20分ほどの滞在では、外の私には中に居る母の事など、殆ど分からないままなのだ。

月訓カレンダーに励まされ

 仏壇の柱に、毎年お寺から頂く浄土宗の月訓カレンダーが掛けてあります。月変わりにめくる時には目にするものの殆どスルーしていましたが、今年はこの訓示がコロナ禍に重なり、やけに心に沁みるのです。明日から6月です。

浄土宗月訓カレンダー

4月 ≪咲いて散ってまた咲く準備≫

 一度散って、終わりではありません。苦労も辛抱も、あなたが、またかがやくためのプロセスとなるはず。ほら、舞い落ちる桜もエールを送ってくれていますよ。

5月 ≪声はげましもう一歩≫

「よし!」どうしても気持ちがついてこないとき、くじけそうなとき、そんなときには、まず声を出してみては?きっと身体もうごきますよ。

6月 ≪たまには心も雨やどり≫

そろそろ新年度からの疲れも出てくる頃。ちょっと一服、自分を休ませてあげてください。